頭から蒸気の記

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のだめカンタービレ 19巻   二ノ宮知子

 今さらながら、といわれるかも知れないが、改めて「峰 龍太郎」という
キャラクターのもっている力に感じ入りましたよ。

 二ノ宮知子作品には、「バカだけれども明るく、めげない」
男性脇役キャラクターの系譜があるが、「峰」は出色。

 出てくるだけで、物語を明るく、力強い方向へひっぱっていける。

 いや、もちろん「そういう方向に物語がいこうとするから、峰が
出てくる」というのが、作劇上では実際の話っていうやつなんだ
ろうけれど、一読者としては、やはり「こいつがやってくれる!」
みたいに感じられるんですな。

 ちょうど、台本通りにしゃべっているだけなのに、舞台の役者自身に、
観客はどうしても惹かれてしまうように。

 フランス編で、主人公千秋をはじめとした、それぞれがかかえる屈託
や不安、迷いなどすべての負の感情に対して、峰の登場が予告されたとたん、
読む側はまるで作者が、

「さあ、それじゃあそいつらふっ飛ばしに行こうか!」

 というキューをふったかのように感じられる。

 峰をみていると、私がもっている「狂言回し」という言葉から連想する
その役割とイメージの貧困さについて、非常に反省させれらますね。
 なんというか、昔ながらの「皮肉屋の道化師」みたいな、ステロタイプ
のものは、「違う」んだ。というか、「そうじゃいけない」んだ。

 なんというかな。主人公を動かし切れなくなったときに出てくる、
サポートというのじゃいけないんだな、と。つじつまあわせの中継ぎじゃ
ないんだな、と。

 むしろ、狂言回し役をどんな性格付けにするかによって、物語の
質というか、雰囲気、力、ニュアンス、そんなものが左右されるんじゃ
ないかというか。

 主人公たちがドラマをつくるのなら、狂言回しは物語の「印象」を
形作る。そんな気がしたので、書いておいたのであった。では。
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